itosui: 2007年12月アーカイブ

渋谷の街を歩くと、赤いハイビスカスが印象的な服やアクセサリーを持った女の子に
必ず1人は、すれ違う。10代の女の子に爆発的な人気のあるアルバローザの商品です。
1975年にブランドを立ち上げたアルバローザはトロピカルフラワーをモチーフとして
「太陽のように健康的で、夕陽のごとくセクシーで、海風のごとくフレッシュ」なリゾートマインドのファッションを提案してきましたがあえなく倒産。
イメージ転換のための計画倒産の噂もありましたが、アルバローザを好んで着ていたギャル達の
年齢が上がってアルバローザを卒業してしまい、売れ行きが落ち込んでしまったのが原因のようです。
2006年にパリで、『アルバローザ・ブランド』の新しいコンセプトを「Luxury&Resort-mode」に
転換すると発表。パリで成功を収めて、生まれ変わったアルバローザは日本での凱旋ファッションショーの際には2000人の観客の動員を記録しました。
原宿に世界初の路面店をオープンさせ、今までよりも大人っぽく値段も高くなったアルバローザは
「エレガンス・カジュアル」「リゾートカジュアル」「リゾート・モード」を3本柱とした独自のファッション
を次々に発表しています。
渋谷のギャル系ファッションブランドだったアルバローザがお姉さま系になって今後の展開が楽しみです。
アニエスbはフランス人の女性デザイナーです。
美術学校を出た後に美術館のキューレターをしていたが、ファッション誌ELLEに転職し子供服の
担当をしていました。
その後、「ドロテビス」でスタイリストを経験し、デザイナーになるべく「ピエール・ダルビー」にて
勉強をして、1975年にパリでアニエスbブランドを立ち上げ、NY・オランダ・イギリス・日本・香港・
スイス・中国などに進出しました。
流行にとらわれないシンプルで機能的なセンスには絶大な人気があり、世界中にアニエスbファン
が居ます。
日本では1984年に、青山に1号店をオープンさせました。
主なブランドはアニエスbファム、(レディスファッション)、アニエスbオム、(メンズファッション)
アニエスbアンファン、(子供服)、アニエスbボヤージュ、(バッグ)の多岐にわたったラインナップで
製造販売をしています。
この他にもアニエスbのグループにはギャラリーや映画製作会社もあります。
チャリティにも熱心で日本赤十字やエイズ撲滅支援、サラエボやコソボに対する支援も行っています。
日本では阪神淡路大震災の際に、アニエスbからTシャツを販売して売り上げを支援活動にあてたことで話題になりました。
幅広い年齢層に愛されるファッションブランドに成長するとは、美術館のキューレターをしていた頃
のアニエスbには想像がつかなかったに違いないでしょう。
ファッションに敏感な10代20代の女の子に絶大な人気を誇るアナスイ。
1980年にアナスイはニューヨークでシグネチャーラインを発表したことを起源に注目を集まり、
97年5月にアジア初のブティックを東京にオープンした。現在では12か国で約400店舗のうち
約80店舗以上が日本にあり、主に日本を中心としたアジアで展開しています。
アナスイのデザインは、下品になるギリギリの華やかさとラブリーな優雅さが魅力。
パープルカラーを基調に、蝶やバラの花をモチーフにし、植物のツルを思わせる、
流れるような曲線が特徴的。
アナスイのデザインは70年代のカウンター・カルチャーやヒッピー・ムーブメントのカラーに
影響されたといわれていますが、古いヨーロッパのアールヌーヴォーやオリエンタルな
ニュアンスも感じられます。
アナスイは、ファッションだけでなくコスメにもそのセンスを発揮し、ストリート・コスメティックという
新しいジャンルを確立させました。
アナスイのキュートでポップなコスメはコスメとしての機能性や色彩の独自性もさることながら、
個性的なパッケージで他の追随を許さず、根強いファンを多く持ちます。
アナスイのコスメはバラの香りをイメージするものが多いのも特徴。
「私はニセモノが嫌いだ。見せかけの真実は見たくない。」
モード界の帝王と呼ばれるイタリアを代表するデザイナー、アルマーニの言葉。
本物を愛するアルマーニの顧客には、ハリウッドスターや世界の著名人が名を連ねます。
アルマーニのファッションは時代を超えたエレガントなデザインで、モードに革命を起こしました。
アルマーニは主にスーツで知られる超高級ブランドだが、オートクチュールはもちろん、
ジーンズなどのカジュアルファッションや子供服、シューズ、バッグ、時計、アイウェア、ジュエリー、
フレグランス、コスメティック、ホームインテリアなど多岐にわたります。
変わったところではアルマーニが内装と塗色を手がけたベンツやバービー人形もあります。
アルマーニは、インテリアやレストランやバーなどの飲食店の経営をしています。
日本では南青山(東京)に「NOBU TOKYO」があり連日、予約で賑わっています。
また、アルマーニ ドルチのショコラはEMPORIO ARMANI 丸の内店(東京)でしか手に入らず
話題になっています。
アルマーニは現在のドバイに2008年完成予定のホテルも建設中だ。アルマーニの提唱する
モダニズムの感じられる衣食住はファッションブランドの枠を超えた、トータル・ライフスタイルの
提案といえるでしょう。

イネド

| | コメント(0) | トラックバック(0)
さりげない装いのなかにも、自分らしさを演出できる・・・しっかりしたヴィジョンを携えた大人の
女性のための知的で上品なスタイルを提案するイネド。
イネドは日本国内のアパレルン業界大手の『フランドル』のメインブランドで1992年に立ち上げ
ました。
イネドとはフランス語で「未発表の、これまでにない」という意味です。
シンプルで、上品なデザインの割には手ごろな価格なので、イネドのファッションは
オフィスカジュアルにぴったりで、OLに絶大な人気です。
国内主要都市の大手デパートには、ほとんどイネドの店舗が入っており、JJやCan Camなどの
雑誌ではイネドが定番アイテムとして紹介されることが多々あります。
Can Camとはタイアップして『ジェニーちゃん人形』も発売しています。
男性用のイネド・オムは、流行と伝統を融合し、洗練された上品なポジティブ・トラッドスタイル。
良質で上品さをかもす30歳の都市型生活者をターゲットに、イタリアンクラシコを取り入れた
こだわりのトラッドで、自分でも納得し、他人からも認められる「良質」なスタイルと信頼を
提供しています。
イネドもイネド・オムも適正価格で、着まわしのしやすい上品で洗練されたデザインで、
知的で爽やかな第一印象のイメージのファッション。
通勤用以外に合コンの時の勝負服になると言われています。
イヴサンローランはアルジェリアで生まれ、17歳でデザインしたカクテルドレスで最優秀賞に
選ばれたのがきっかけで、デザイナーとしての才能を認められ、1962年に「イヴサンローラン」
ブランドを立ち上げました。
イヴサンローランは、色の魔術師とも呼ばれ、デビュー当時からアート性が強く、カラフルな色
の組み合わせが特徴的なデザインが得意で、その卓越した技術と多大なる存在感で多くの
デザイナーに影響を与えました。
そんなイヴサンローランは敬意を込めて「モードの帝王」と呼ばれました。
オートクチュール優先だった時代にイヴサンローランは、プレタポルテの時代到来の予感を一
早くつかみ、1966年に、プレタポルテのブティック「サンローラン・リヴ・ゴーシュ」を開いたのを
皮切りに、海外に進出し、60年代後半には斬新的な作品を次々に紡ぎ出し、他のデザイナーの
追従を許さない不動の地位を築きました。
70年代に入り、贅沢でファンタジックで斬新なテーマのコレクションを次々に発表し、世界中の
女性を魅了しました。
「私はいつも、ドヌーヴをイメージしてデザインしている」と言わしめるほど、
ドヌーヴをイヴサンローランブランドのマスコット的存在として起用し、舞台衣装やプライベートな
ファッションのデザインを手がけたことで知られています。
オレンジ色にこげ茶色のリボン。馬車のマークにHが印象的なロゴ。
ブランドの中のブランドと呼ばれ、圧倒的に高価でありながら熱狂的なまでの人気のエルメス。
一般大衆に有名になったのは、グレース・ケリーが、カロリーヌ皇女を懐妊した際に、お腹を
隠すためにオーダーした『ケリーバッグ』がきっかけでしょう。
エルメスのバッグには発注者ないし最初の所有者の名が付いたモデルが多く存在します。
他にも個人名のついたバッグで有名なのは、4代目のエルメス当主、ロベール・デュマ・エルメス
がたまたま飛行機で隣り合わせになったジェーンバーキンの荷物の多さを見かね、彼女のために
作った『バーキン』や、最近ではスーパーモデルのエル・マクファーソンが発注した『エル』です。
元々はナポレオン3世やロシア皇帝を顧客とする高級馬具屋さんだったエルメスは、馬車に
代わり自動車時代の到来と共に、馬具から「サック・ア・ロア」という、『オータクロア』のバックの
製作に力を入れ始めました。
高水準な職人技術と伝統と確信を織り交ぜながら発展を遂げたエルメスは、次々に時計や
アクセサリー、香水等の分野にも進出。特にスカーフとバックのデザインと質の良さとにより、
エルメスの不動の地位を築き上げました。
アヴァンギャルドなデザインで知られるヴィヴィアンウエストウッド。
ファッション界に革新をもたらし続けるヴィヴィアンウエストウッドのブランドロゴは王冠と地球。
1970年代後半に、セックス・ピストルズの衣装を手掛け、前衛的なパンクファッションで話題に
なって以来、『パンクの女王』と呼ばれました。
パイレーツコレクションを発表後、ストリート系ファッションを卒業し、中世ヨーロッパの衣装から
『伝統をもって未来を創る』イマジネーションに行き着き、ヴィヴィアンウエストウッドは
ノスタルジックなモードへと転身しました。
その後、ヴィヴィアンウエストウッドは次々に歴史的衣装を再現したコレクションや英国の古典的
な技法を用いたコレクションなどを発表し、世界的なファッションデザイナーとして確固たる地位を
築きました。
現在のヴィヴィアンウエストウッドはフェミニンでエレガントな作品で、“オートクチュールとも呼べる
高度なテクニックに裏付けられた服作り”と高く評価されています。流行に左右されることなく、
ヴィヴィアンウエストウッドの奔放なイマジネーションはファッション界に驚きをもたらし続け、
多大な影響を与え続けています。
日本でも愛好者は多く、1996年には日比谷に旗艦店「Vivienne Westwood Tokyo」を開店。
日本全国の百貨店や専門店に店舗を拡大しています。

オメガ

| | コメント(0) | トラックバック(2)
世界が認めたスイスの時計メーカーのオメガ。
その歴史は1848年に懐中時計の組み立て工房から始まりました。
オメガは1932年にはオリンピックの公式時計として採用され、その後も公式時計として
たびたび選ばれています。映画の『007』でジェームズ・ボンドがオメガのダイバーズウォッチを
使用したことでも知られています。
NASA公認のクロノグラフは、宇宙空間での使用に耐えるための耐寒性、耐熱性、耐衝撃性など
のさまざまなテストに合格した唯一の時計です。
人類が月面に降り立った際に使用した腕時計はオメガの「スピードマスター」でした。
アポロ13号が月に向う途中で航行用コンピュータが故障した際、オメガの「スピードマスター」でロケット噴射
時間の制御を行い、乗組員が無事に生還できたというエピソードが残っています。
現在でもスペースシャトルにおいて船外活動を行う際にはオメガのこの機種以外の使用は
認められていないという高機能な時計です。
精度の正確さだけでなく、機能美という言葉が相応しいオメガの時計は精度、堅牢性、美しさを
追求し芸術の域に達してニューヨーク国際ダイヤモンド・アカデミー賞や、その年の最も優秀な
デザインの時計に贈られるバーデン・バーデン市ゴールデン・ローズ賞など数々の輝かしい賞を
何度も受賞しています。
アメリカのデザイナー、カルバンクラインは「全てはカッティングから始まる」と言っています。
カルバンクラインのファッションは、天然素材を好み、アメリカン・トラディショナルをベースにした
カジュアルなもので、そのシルエットはボディラインを美しく見せる洗練されています。
1968年にカルバンクラインがNYにブランドを設立して以来、最年少でコティ賞を受賞するなど、
プレタポルテ業界のトップデザイナーとして君臨してきました。
機能的で洗練された色使いとデザインがカルバンクラインのデザインの特徴で
カルバンクラインは、アパレルの他に、時計・サングラス・コスメティクス・ジュエリー・インテリア
などを手掛けています。
中でも下着と香水は特に有名で、映画「バックトゥーザフューチャー」の中でもカルバンクラインの
下着の話が出てきました。
また、カルバンクラインの香水「CK」は、カジュアルフレグランスの代表と言われ、
ユニセックス・フレグランスというコンセプトを世界で初めて打ち出し、香水界のオスカーと呼ばれ
るFiFi賞を受賞しました。フルーツ系の軽く爽やかなつけ心地です。
「CK」は、気軽に使えるライト系フレグランスで、環境に優しいパッケージとボトルの素材を使用し
ていることでも知られています。
カルティエはフランスの超高級ジュエリー、時計ブランドで18世紀後半にパリで宝石細工技師の
ルイ・フランソワ・カルティエがアトリエを開いたのが始まりです。
19世紀に入って、ルイの孫達がアール・デコ様式のジュエリーやファッション性の高い時計を
発表し、名声を高め、現在ではイギリス王室御用達に指定されています。
カルティエのレザーグッズのテーマカラーは、ややフランボワーズがかったボルドーカラー。
1974年に発表された「レ マスト ドゥ カルティエ」シリーズで発表し、当時としては珍しいカラー
でしたが、カルティエのイメージカラーの赤を受け継ぐものとして選ばれ、時代を先取りしたこの
選択は70年代から80年代に、黒いレザーに代わってエレガンスの象徴として流行しました。
カルティエのトリニティーは1924年にジャン・コクトーが友人の詩人ラディゲに贈るために、
この世に存在しないリングを作って欲しいとオーダーしたことがきっかけです。
3色のゴールドを使い「愛・忠誠・友情」を表現し、三本が絡み合うデザインを完成させました。
腕時計のサントスは、ブラジルの大富豪で飛行家のサントス・デュモンに注文を受けて作られた
腕時計で、今ではカルティエの代表的な作品となっています。

クロエ

| | コメント(0) | トラックバック(0)
1952年、ギャビー・アギヨンが立ち上げたクロエブランド。
ブランド名の由来はバレエ音楽「ダフニスとクロエ」からで、この作品は、恋物語で、主人公である
クロエの優雅な踊りに影響を受けたといわれています。
当初、クロエの高級プレタポルテはロマンチックでシックさが特徴のフレンチ・ファッションを確立
しました。
女性の為にトータルコーディネイトを考えてバッグやアクセサリー、ジュエリーにプレタポルテ等を
次々に発表していましたが、カール・ラガーフェルドをクリエイティヴ・ディレクターに迎え、
フローラルの花柄プリントやシェイプされたデザインを発表し始めた頃から名声が高まりました。
クロエの代表的な作品にはパディントン・バッグが挙げられます。
ウォッシュレザーと鈍く光るゴールドの金具を使用しているパディントン・バッグは幅の大きな収納性が高く、
世界中のセレブに愛用されています。
その他にも、クロエで人気のある商品には、サイドポケットやスタッズなどのディティールが
特徴的な『シルベラード』、ハンドルタイプとショルダーの2種類が選択できる実用的な『ベティ』、
アンティークな風合いの『エディス』、馬蹄形のチャームのついた『ケララ』などさまざまな種類の
バッグがあります。クロエのバッグは人気が高く入手が困難なことでも知られています。

グッチ

| | コメント(0) | トラックバック(0)
世界中のセレブに愛されるグッチはイタリアのファッションブランドです。
"最上の伝統を最上の品質で、しかも過去のよいものを現代に反映させる商品作り"がグッチの
ブランドコンセプトで、世界で初めて品質保証のためにデザイナーの名前を商品に入れた商品を
販売し、ブランドの元祖としても知られています。
グッチの歴史は18世紀初頭のイタリア・フィレンツェでハンドメイドの高級革製品と旅行鞄の
専門店として誕生したことから始まりました。
第二次世界大戦時に革が統制品として入手困難になった際、代用として使ったコーティングした
キャンバス地のバンブーバッグが話題になり、グッチを代表する商品となりました。
バンブーバッグは王族やセレブを中心に今なお、愛され続けています。
19世紀中頃には、グッチのトレードマークとも言える、ストライプ・ウエビングや、メタルビット付き
モカシンシューズ等を発売して大ヒットを記録しました。
その後、世界中の主要都市に事業を拡大していきました。
現在のグッチ・グループは、フランスを本拠地とする流通会社の傘下にあり、衣服の他に、バッグ・
財布・靴・香水・時計など幅広いアイテムを手がけています。
グッチのシンプルでモダンなアイテムは性別や世代に関係なく絶大なる人気です。
『コム デ ギャルソン』はフランス語で『少年のように』という意味。日本のデザイナー川久保玲が
1969年に立ち上げたプレタポルテのブランド。
日本のブランドだが、パリを中心にコレクションを展開しています。
コム デ ギャルソンブランドの台頭は、服飾の既成概念を崩した。モノトーンカラーを使い、
布地のねじれや歪み、シンメトリーなどの斬新な手法を取り入れ、わざと生地を傷ませたり穴を
開けたりする前衛的でスタイリッシュなデザインで多くの外国人デザイナーを心酔させました。
当時のプレタプルテ業界では、ほとんど黒が使われなかったが、コム デ ギャルソンの作品の
発表以来、世界的に黒が流行しました。
黒を基調としたコム デ ギャルソンのアイテムは、「黒の衝撃」、「ジャパネスクカジュアル」などと
呼ばれ、世界中から注目を浴び、「カラス族」という流行語も生んだことでも知られています。
コム デ ギャルソンはパターン数が多く、1つの型の生産数が少なく細やかなチェックが必要と
される製造工程は「アートファクトリー」と呼ばれ、需要超過のために高価なブランドとして確立
されました。
コム デ ギャルソンの確かな技術と熱い情熱、縦横無尽なイマジネーションによるデザインは、
今も人々を刺激しつづけています。
1976年に立ち上げたファイブ・フォックス社の基幹ブランドのコム サ デモードは1980年代の
日本のDCブランドブーム全盛期に躍進し、単体では国内最大手のアパレルメーカーです。
コム サ デモードとはフランス語で「こんな様式はいかがですか?」という意味。
コム サ デモードは商業的に展開しているブランドなのでデザイナーは非公開ですが、単品の
個性を主張するのではなく、トータルコーディネイトを重視している。黒髪の日本人に合う服と
いうことで黒をテーマカラーとしています。
コム サ デモードは黒を基調とした落ち着きのあるデザインで、日本の美意識と西洋のデザイン
が融合したストイックなモードを目指すコンセプトを持ちます。
商品だけでなく、販売員の教育も独特だ。日本文化を大切にした美意識・価値観を守りながら、
コム サ デモードの販売員は「笑顔」「挨拶」「おたたみ」を遵守している。
「おたたみ」とは文字通り、乱れた売り物の服をたたみ直すだけではなく、床に落ちているゴミが
あれば拾ってそっとポケットにしまう、そんな日本的な「おもてなしの心」の表現です。
企業の社会貢献という面においては、また、コム サ デモード本社周辺地区の地域清掃を行うな
ど徹底した「おもてなしの心」を実践しています。

コーチ

| | コメント(0) | トラックバック(0)
コーチはアメリカの高級皮革製品ブランドで、1941年ニューヨークで創業しました。
当初のコーチは野球のグローブの革を使用した鞄などをアメリカ国内向けに生産していましたが、
1985年にサラ・リー社に買収され、バッグや財布などの皮革製品メーカーから総合ファッション
ブランドへの発展を遂げています。
コーチという名前の由来は、アメリカ開拓時代の象徴の、馬車からとったものです。
コーチの頭文字の「C」のマークをあしらった「シグネチャー」柄はセレブの間では欠かせない
アイテムのひとつです。
コーチの製品は使い込みほどに手に馴染み、革そのものの自然な風合いを生かしたデザインが
特徴で革の柔らかさ、肌触りのよさ、そして耐久性もあり、たくさん収納できる機能性にも優れています。
アメリカモダニズムのあふれる老舗ブランドであるコーチは近年、デザインの変更を行ってから
幅広い年齢層にファンが増えました。
コーチのアイテム中でも、特に人気のあるのはトートバッグ。
トートバックはどちらかというと、カジュアルなイメージがありますが、コーチのトートバックであれば、大人の女性としての落ち着いた雰囲気があります。
デザインの良さだけでなく、たくさんの荷物を入れることができるという、トートバック本来の実用性
を併せ持ち、ひとつは欲しいアイテムです。
パリ・オートクチュール全盛期の先端を担った名デザイナーであるクリスチャンディオールは
1946年、パリにメゾンを設立しました。
初めて発表したデザインは、ペチコートで膨らませ、曲線を強調したラインと、ゆったりなだらかな
肩に細く絞ったウエスト、くるぶしまであるロングスカートという優美なスタイルで「花冠ライン」と
呼ばれました。クリスチャンディオールの花冠ラインのシルエットの美しさはファッション業界を
驚愕させ、鮮烈なデビューを果たしました。
クリスチャンディオールのスタイルは、「ニュー・ルック」と呼ばれ、世界のモード界に旋風を
巻き起こしました。
クリスチャンディオールは華やかでエレガントな女らしいラインを作り出す新しい手法を次々に
生み出し、「流行の神様」と呼ばれ、現代のデザインにも多大な影響を与え続けています。
クリスチャンディオールはわずか10年で急逝してしまいましたが、サンローランやガリアーノといっ
た優秀な後継者が、究極のエレガンスと呼ばれるクリスチャンディオールブランドイメージを引き継いで、
現在でも世界中の王室や女優たちに愛されています。
クリスチャンディオールでは、レディースウェアやメンズウェア、バッグ等の小物やシューズ、ファインジュエリー等や
化粧品など多岐にわたったアイテムを扱っています。
ヒルトン姉妹やビヨンセ、ヴィクトリア・ベッカムやマリア・シャラポアをプロモーションで起用して
話題になったサマンサタバサブランドは、1994年日本で誕生しました。
ブランド名の由来は、1960年代のアメリカの人気テレビ番組「奥様は魔女」の主人公サマンサと
娘のタバサに由来しています。
サマンサタバサのブランドコンセプトは魔女の「マジカルエレガンス」で、ギャル系のファッションの
女の子に人気で、5年間に売り上げは12倍にまで躍進しました。
サマンサタバサで扱っているアイテムは、主にハンドバッグとジュエリー。
「JJ」は毎月サマンサタバサを掲載しており、カジュアルでキュートなバッグはANAやフジテレビと
のコラボレーションでデザインしたバッグもあります。
サマンサタバサの定番商品は持ち手部分が木でできた「オルラーレ」。ラインストーンのついたものが人気です。
サマンサタバサのバッグはお値ごろ感があり、ロングセラーのオルラーレも2万円前後で購入できるものも多数あります。
最近では、クレエトートを定番化しようとしているようです。
また、サマンサタバサの財布はCanCanのファッション雑誌でも有名な蛯原友里さんが愛用して
いることで有名です。
アメリカの新進気鋭ブランド、ジルスチュアート。
15歳だったジルスチュアートが始めてデザインしたジュエリーとバッグのコレクションが
米国で有名な百貨店であるブルーミングデールズの目にとまったことがきっかけで、ファッションデザインの勉強を始めました。
1994年、27歳の時にジルスチュアートはニューヨークコレクションでデビューし、ニューヨークを
旗艦店として現在では世界に30店舗以上の直営店を展開しています。
ジルスチュアートのデビューコレクションのブランドコンセプトは『CUTE、PRETTY、SEXY』で、
常にインターナショナルなスタンスを持ち続け、流行に敏感な女性に時代感大事にしています。
ブランド設立10周年の2005年には、ジルスチュアートの念願だったコスメティクスの部門を
スタートさせました。
コンセプトは「イノセント セクシー」。
少女の持つ透明感と、大人の持つセクシーさの両面を上手に引き出し、最高の「かわいらしさ」を
演出しています。
セクシーさとフェミニンさが共存するジルスチュアートのデザインは、日本をはじめとする、世界中
の若い女性から圧倒的な支持を得ています。
ジルスチュアートのワンピースやコスメ、財布、バッグなどは、おしゃれに欠かせないファッションアイテムとなって多くの女性を魅了しています。
サーファー、スケーター、ヒップホップ、など裏原宿系と呼ばれるファッションの愛好家に人気の
ステューシーは、ボードシェイパーのショーン・ステューシーが仲間のためにデザインした数枚の
Tシャツから始まったサーフ&アパレルブランドです。
1980年に南カリフォルニアを拠点にブランドをスタートし、世界的に進出しました。
ステューシーはTシャツ以外にも衣類、時計、サングラス、キャップ、アクセサリーなどのたくさんの
ラインナップがあります。
ステューシーの特徴はリラックスしたデザインと、リアルクローズとトレンドの絶妙なバランスで、
ステューシーオリジナルの字体「ショーンフォント」とブロック体によるブランドネーム「ストックロゴ」
が定番です。
また、人物や風景をモノクロのフォトでプリントした作品、通称「オールドフォト」も大人気です。
その他には「ハイビスカス柄」、「Pop Tom柄」、「IRIE柄」などのオリジナルの柄物も人気です。
ステューシーの独創的なデザインはサーフブランドの枠を抜け出し、世界中のストリートシーンで
欠かせないアイテムとなりました。
有名アーティストやプロスケーターとの密接な関係を持ち、コラボレーションアイテムも常に注目を浴びています。

映画「麗しのサブリナ」や「ローマの休日」でオードリー・ヘップバーンが着ていたのは
ジバンシーの衣装。
40年来、助言をしてきたオードリーはジバンシーのイメージキャラクターでした。
ジバンシーのクラシックとファンタジーを程良く混ぜた、洗練されたスタイルは世界中の女性から
愛されています。
1951年、24歳でジバンシーが発表した初コレクションは資金面の問題もあり、コットン素材の
シンプルなデザインでしたが、シャツ地で作った開襟、ラッフル袖の「ベッティーナ・ブラウス」が
斬新で話題を呼びました。
その後、シャープな感性が絶賛され、「モードの神童」と呼ばれるようになりました。
ジバンシーのレディースウェア・メンズウェアともに既製品は上品なラインを展開しています。
特にメンズウェアはオズワルド・ボーテングのひねりのあるユーモアが魅力的です。
コスメや香水も人気があり、日本では香水で300万本を売り上げた「ウルトラマリン」が有名です。
珍しいところではジバンシーは、タイアップでアメリカの高級車リンカーンや日産自動車の車の
内外装をデザインしたこともあります。
最高級のオートクチュールブランドとして不動の地位を築き上げたジバンシーのデザインは
クラシカルでありながら、普遍のコンセプトである「エレガンス」にあふれ、時流を超越した美しさを
誇っています。

セシルマクビーはファッション界では若い女性から圧倒的な支持を受けている渋谷系ブランドの
リーディング的な存在の人気ブランドです。
セシルマクビーのイメージキャラクターには安良城紅を起用しています。
競争の激しいことで知られる渋谷のファッションビル109の中でセシルマクビーは2000年から
6年連続で、売り上げトップを記録して安定した人気を誇っています。
セシルマクビーブランドコンセプトは大人っぽさの中にエレガント、カジュアル、グラマラスなど
様々なトレンド要素をミックスし、常に「女らしさ」を忘れない服を提案します」というのが「CECIL McBEE(セシルマクビー)」のコンセプトです。
10代後半から20代前半の流行に敏感な女性を、セシルマクビーは顧客ターゲットとして掲げて
いますが実際の購買層は中学生や高校生が多いようです。
デザインの傾向としては全体的に細めでタイトなものが多く、俗にお姉系ブランド、ギャル系
ブランドと言われています。
芸能人では浜崎あゆみや松本莉緒が愛用していることでも知られています。
セシルマクビーで購入商品を入れてくれる持ち帰り用の袋は人気が高く、商品を購入すれば
本来は、無料で手に入るが、オークションや個人売買でも取引されています。
セリーヌは子供用の皮革靴店として1945年にフランスで創業しました。
以後、靴やバッグなどの皮製品、アクセサリー等の分野に進出し、品のあるベーシックなデザイン
でトータルコーディネイトを提唱しています。
創業当時は保守化の流れから、パリのファッションも上流階級の上品な装いであるBCBGが
主流で、セリーヌはその中心的存在で持てはやされました。
セリーヌの馬車の柄のモノグラムは、幅広い世代で愛され続けている定番柄です。
1987年にはルイ・ヴィトン・モエ・へネシー社の傘下になりました。
少し前まではクラシックなイメージが強く、どちらかというとモードの世界から遠ざかりつつあった
セリーヌでしたが、数年前に新しいデザイナーを迎えた頃から斬新なデザインが加わり、最近の
作品は現代感覚にマッチした「最上質なデイリーユース」として人気があります。
特に発売以来大ヒットの、ブギーバッグは、働く女性達から絶大な支持を得ていて、毎シーズン、新しい素材が
追加されバリエーションが広がっています。シンプルなレザーメイドから、
Cブラゾンのリリーコレクション、セリーヌの定番となったパリマカダムなど、場所や装いを問わない
セリーヌのデザインは、パリのみならず日本でもハイクラスな女性達を魅了し続けています。
シャネルは1910年のパリで、ココシャネルが帽子の専門店を開いたのが、始まりの上品で
エレガントな貴婦人の称号に相応しいブランドです。
他のブランドの類似アイテムでも「シャネル・スーツ」と呼ばれるほど、そのデザインは有名です。
最初にオートクチュール・コレクションを発表した際に、安くシンプルで着心地がよく、無駄のない、
ジャージー素材を取り入れたドレスが話題となりました
「古い価値観にとらわれない女性像」がシャネルのブランドポリシーです。
初の香水「No.5」を発表した時には、大胆な香りが話題になりました。
その後も、次々に斬新な視点でコレクションを発表しました。
たとえば、当時の黒は喪服のみにしか用いられませんでしたが、「色を多く使う服ほど醜い」という
思想のもとに、初めて黒を用いたコレクションを「リトル・ブラック・ドレス」として発表しました。
その斬新なアイデアは、ファッション業界に衝撃を与えました。
シンプル&エレガンスを追求し、下着とされていたジャージー素材を初めてスーツ等のフォーマル
スタイルに使用したり、女性がパンツを履くスタイルもシャネルが広めました。
シャネルは1971年に没しましたが、現代のファッション業界に影響を与え続けている、
不世出の偉大なるデザイナーです。

ダンヒルはイギリスを代表する高級ファッションブランドです。
1880年にアルフレット・ダンヒルが、馬具専門製造卸売業としてロンドンで創業し、自動車が普及
してきてからは自動車旅行用品を手がけました。
信頼性の高いクオリティは英国王室御用達にもなっています。
ダンヒルは女性向け製品のラインナップもありますが、メンズのトータルブランドとして、イギリスの洒落者たちの支持を集め、
確かな腕で、自動車関連の小物ライン「モートリティーズ」など、常に時代を先読みしながらトップブランドとして君臨してきました。
ダンヒルといえばライターのイメージがあるように、現在は、タバコや葉巻ブランドや、ライターや
パイプなどのタバコ用小物で有名ですが、バッグ、時計や衣料品など様々なジャンルの製品も
製作しています。
大胆かつウィットに富んだ精神と高級品に対するユニークなアイデアは、創業から100年という
時を経ても「ダンヒル」のスピリットとして生き続けています。
ダンヒルは近年、部門ごとにクリエイティブ・ディレクターを置くという手法で生まれ変わりました。
専門分野出身の達人が感性を発揮し、完成度が高くなってゆくことが期待されます。
温故知新を地で行く「ブランド」の鑑として、ダンヒルは、ますます人気が高くなっています。
ツモリチサトは1990年に日本人のデザイナー津森千里が立ち上げたブランドです。
ブランドコンセプトは、デザイナーであるツモリチサトが好きなもの、興味のある事を、自由な発想
で素直に表現。ガーリィでセクシー、大人のためのファンタジーがあふれるハッピーなテイストを提
案しています。
ツモリチサトブランドでは財布、靴、バッグ、ワンピースの他に浴衣なども取り扱っています。
ツモリチサトの作り出すデザインは、柔らかな生地使いとパステル等の淡い色使いが印象的で、
清楚なイメージが特徴的です。
海外ブランドと比較すると決して高価でなく、それでいてフェミニンな高級感がただようのが魅力。
また、ツモリチサトブランドは下着にも力を入れており、清楚で可愛らしい雰囲気が好きな方にお薦めします。
最近。発表したツモリチサトコレクションでは、今までのパステルカラー、花柄、
プリント、ファンシー、キュートなど華奢な可愛い女の子というイメージからの脱却を図ったようで
色合いもシックな黒、白、生成り、グレイなどの無地を基調として、直線的でシャープなデザインになりました。
これまでのツモリチサトのイメージと異なる、肩で風って歩くクールで颯爽とした大人の女性のイメージに転換しつつあるようです。
ダナキャランはアメリカを代表するデザイナーの名前で、彼女の名を冠した世界的なファッション
ブランドです。
ダナキャランはアン・クラインのアトリエで、デザイナーとして活躍していましたが、自らのアイデン
ティティを見出すため、1985年、日本のメーカーの資本によりダナキャラン・ニューヨークを設立し
て独立しました。
『自分と家族のための服』をコンセプトとするダナキャラン・コレクションを発表し人気となりました。
愛娘のために考えたカジュアルでライフスタイルに合うコレクション。自らが完ぺきなジーンズが
欲しいと立ち上げたジーンズコレクション。夫のために考えたメンズコレクション。子供向けのキッズコレクション。
ダナキャランは、既製ファッションの歴史を作り変えたと賞賛されています。
その後は、個性を大事にする働く女性をターゲットに、男女の融合を目指しつつもシャープで
セクシーな、洗練されたスタイルを提案しています。
ダナキャランの服は、女性を美しく見せるシンプルで機能的なラインを得意としています。
仕事先からパーティーに直行してもいい服というコンセプトのもとで創作され、ニューヨークの
エグゼクティブキャリアに絶大な支持を受けています。
ティファニーはアメリカで創業された、世界的に有名な宝飾品および銀製品のブランドです。
当初は高級文房具店でしたが、厳選した商品のみを販売するという姿勢で共感を呼び、銀細工の
名人を迎えてオリジナルの銀製品を発売以来、ジュエリーメーカーとして成長しました。
ティファニーの青い包装箱は、銀製品と共に有名です。その特徴的な色はティファニー・ブルーと
呼ばれています。「TIFFANY BULE/TIFFANY BULE BOX」と呼ばれるティファニーの青色と箱は、
商標登録されています。この色は、ティファニーが創立された1837年に信頼と象徴の証として
選ばれました。
19世紀末には諸国王室・皇室御用達のジュエリーブランドとなり世界にその名を轟かせました。
フランスの王冠に使用されたり、リンカーン大統領が選挙の勝利を記念して、妻にティファニーの
パールのネックレスとブレスレットを贈るなど、パールにまつわる逸話が多いため、パールは
ティファニーを象徴するものとなりました。
パールの他の定番のアイテムは、シルバーのオープンハートやビーンズです。
ティファニーは、赤ちゃんや少女向けのギフトといった幅広い価格帯のラインナップを持ち、品質の
高い商品を取り扱っています。
また、オードリー・ヘップバーンの主演した映画「ティファニーで朝食を」でニューヨークの本店は
一躍、観光地となりました。
ドルチェ&ガッバーナは、イタリアを代表する世界的ファッションブランドです。
1985年にミラノのファッションショーでドルチェ&ガッバーナとして、新人発掘セクションに
レディース・コレクションを発表し、その情熱的でゴージャスなデザインが「モード界の新風」と
称されて注目されました。
マドンナのワールドツアーのために衣装デザインを提案したり、ホイットニー・ヒューストンの
ワールドツアーで衣装を担当、イタリアのプロ・サッカーリーグ、セリエAのユニホームをデザイン
したりと、ドルチェ&ガッバーナは常に世界のファッション界のトレンドの先端に居ます。
ドルチェ&ガッバーナは「リッチ&ゴージャス」を感じさせるデザインでグッチなどと並ぶ存在となり
つつあります。
「ドルチェ&ガッバーナ」がターゲットとして感が照る女性像は「コスモポリタンな女」で
「自分自身を好み、また他人からも好まれる人」だそうです。
最近のドルチェ&ガッバーナコレクションでは、ミッキーマウスやドナルドダックをプリントした
Tシャツを発表してファッション界を驚かせました。その他にも、アルパカやカワウソ毛皮を使用
したり、日本文字をデザインに取り入れるなど新たな表現を発表して話題になっています。
アメリカ・カジュアルファッション界の牽引役のトミーフィルフィガーは、いまや、アメリカを代表する
国民的ブランドといっても過言ではないと思います。
アメリカ発のブランド、トミーフィルフィガーの商品ラインは実に多種多様にわたっています。
トミーフィルフィガーは、ヤング・スポーツウェア&カジュアルウェアの印象が強いですが、実は
フォーマルなものも展開されています。
ターゲット年齢層は幅広く、トミーフィルガーでは、メンズウエア、レディースウエア、キッズウエア、ガールズウエア、ジーンズ、コスメなどを扱っています。
子供服から、熟年までをカバーするラインナップとなっています。
トミーフィルフィガーは、デザイナーであるトーマス・J・ヒルフィガー氏が、1984年にコレクションを
発表したことが始まりです。
トミーフィルフィガーのコンセプトは、活気あるアメリカンスタイル。
そのデザインは、アメリカのライフスタイルとアメリカ社会の多様性に大きな影響を受けていると
いわれています。
日本のトミーフィルフィガーでは、1992年から商品販売がスタートしましたが、2000年に
伊藤忠商事が資本参加して以来、ブランドの展開が急加速しています。
ナンバーナインは、独学で服作りを学んだ宮下貴裕が1996年に設立したブランドです。
ブランド名の由来はビートルズの曲目である「レボリューション・ナイン」に由来します。
ナンバーナインは「東京に合うもの」をデザインテーマとし、ロック調のイメージを得意とし、衣服の
素材にこだわり、吸熱、畜熱素材を用いる等、新素材の開発にも余念がありません。
基本的なデザインスタイルとしては、ストリート系のアナーキーなデザインです。
ブランド開始当初のナンバーナインのデザインは現在とは異なり、初コレクションでは、ロックを
意識していたわけではなく、モノトーンやレザーを使ったスタイリッシュなデザインで、周囲がロック
調と認識し、その後、反応を加味する形でシフトしていったようです。市場やマスコミの反応を敏感
に取り入れられるという意味でナンバーナインは、優れたバランス感覚を持ったブランドであると感じます。
ナンバーナインのラインナップは初期のころと比べて多様化しています。財布や時計などの小物は、他のデザイナーとコラボレーションしたものが多いです。
ナンバーナインの衣類について全般的にいえるのは、着心地の良さです。現在ではパリコレクションにも進出し、ドメスティックブランドの代表格を担うといえるブランドにまで成長しています。
ビームスは1976年に創業した日本のセレクトショップショップの草分け的な存在です。
ビームスは創業以来30年間もの間、セレクトショップとして業績が右肩上がりの、優良企業です。
輸入以外にも、ビームスが展開するオリジナルの衣料品や雑貨を取り扱っています。
ビームスのブランドコンセプトは
「時代を敏感に冷静に見つめながら、新しいライフスタイル、生活文化が生まれる原動になる」
ビームスが流行の新しい物を追うだけのセレクトショップだったとしたら、今日のビームスとしてのブランドは確立できなかったでしょう。
常にアンテナを張り巡らせて、世界中のファッションの最先端を集めていますが、ビームスの特色
を維持しつつ、世界中から新しいものを導入しています。新旧どちらのカラーが強くなりすぎても、
ビームスのブランドイメージを壊すことになりかねないので、バランスよく商品を揃えていると思います。
世界中の人々とファッションを通じて時代を共有し、ファッションの喜びを共感しあうのがビームスのスタンスです。
つねに世界中の人と共感し合えるファッションを取り入れ、型にはめることなく、
より良いものは積極的に取り入れるスタンスが、30年もの間、日本のファンのハートをつかんで離さないのでしょう。
18世紀に、トーマス・バーバリーがロンドンで洋服店を開業したのがバーバリーの始まりです。
農民が汚れを防ぐために服の上に羽織っていた上着をヒントに「ギャバジン」といわれる耐久性・
防水性に優れた新素材を生み出したことがヒットのきっかけとなりました。
人類で初めて南極点に到達したアムンゼンがバーバリーを防寒具として使用したことや、第一次
世界大戦時にはトレンチコートとして英国陸海軍にバーバリーが正式採用されるなど、一躍有名
になりました。
世界の定番といわれる「バーバリーコートは、作家のコナン・ドイル、英元首相ウインストン・
チャーチル、米元大統領ジョージ・ブッシュ、女優キャサリン・ヘプバーンら数々の著名人が
愛用したことで知られています。
19世紀になって英国王室御用達となり、お馴染みのバーバリーの騎手と馬のモノグラムも
英国王室から授与されています。1996年に三陽商会の企画で日本独自のレーベルの、
「バーバリー・ブルーレーベル(BURBERRY BLUE LABEL)」を発表しました。若い女性をターゲットに、
「ジャクリーン・ケネディやオードリー・ヘプバーンが20歳だったら何を選ぶか」というコンセプト
でデザインされています。バーバリーの伝統にトレンドを融合させた上品で、クラシックなスタイル
を提案し、大変人気があります。
イタリアを代表するブランドのフェラガモは1927年フィレンツェで靴屋として開業しました。
稀有な靴職人であったサルヴァトーレ・フェラガモは、履き心地のよい靴を信条とし、顧客の足に
触れただけでその人物の体調すらわかったとも言われています。
フェラガモはアメリカに渡り、足を痛めない靴を製作するため、大学で解剖学を修めました。
戦時中には材料不足なため、ラフィア椰子の繊維やコルクを素材に用い、独創的なデザインの靴
を生み出しました。
その後、「見えない靴」や、ウェッジ・ヒールやフラットフォーム・ソールなどを生み出し、数々の特許
を取得。そのデザインは遊び心の中にも上品さや優雅さを感じさせます。
フェラガモのデザインを愛した顧客には、イングリッド・バーグマン、マリリン・モンロー、オードリー・
ヘプバーン、ソフィア・ローレン、マレーネ・ディートリッヒ、ジュディ・ガーランド、カルメン・ミランダ、
キャサリン・ヘプバーンなど多数のハリウッド女優が名を連ねフェラガモは「スターの靴職人」と
名声を集めました。
現在、フェラガモでは靴の他に、バッグ、ウェア、シルク&アクセサリー、サングラス、香水などを
扱っています。また、「メード・イン・イタリー」にこだわり、フェラガモのライセンス契約はサングラス以外に行っていない。
フェンディ(FENDI)はイタリアを代表する世界的ファッションブランドです。
1925年アドーレ・フェンディとエドアルド・フェンディがローマに革製品店を設立しました。
創業当時、ハリウッドで流行していた毛皮の襟巻きに着目し、毛皮のコートを売り出したことで
成功して以来、フェンディの毛皮はイタリア人女性のステータス・シンボルになっています。
1965年には27歳の新進デザイナー、カール・ラガーフェルドを主任デザイナーに迎え入れ、
毛皮の常識を覆す冒険的で、品位や優美を保つコンサバティブさも兼ね備えた、新しいスタイル
の毛皮を世に出し続けています。
ラガーフェルド考案のモノグラムは、フェンディの頭文字のFを組み合わせたダブルFで、
ジャガード織地のバックにこのモノグラムを使い、大人気となりました。
近年ではフェンディのバッグ「バゲット」が大ヒット。パンのバケットに形が似ていることから、
名付けられたこのバッグは、現在では350種類以上のバリエーションがあり世界的に人気商品と
なっています。
2005年に発表されたバッグ「スパイバッグ(spy bag)」はバゲット以来の人気商品となりました。
またフェンディの凝ったカッティングが生み出す美しいシルエットのスーツにも定評があります。
フォリフォリは、1982年、ギリシャで生まれたブランドです。
「フォリフォリ」ブランドのもと、ジュエリー、ウォッチ、バッグをはじめとするアクセサリーのデザイン製造、販売を
行っているトータルファッションブランドです。
コンセプトは「アフォーダブルで、ファッショナブルなラグジュアリー」で、フォリフォリは
「全ての女性は、ファッションの犠牲者になる事なく、自らのためにファッションを選び抜く
存在であるべき。」と唱え、展開しています。
フォリフォリの定番は月や星の幸運の四葉のクローバー、またハートなど、女性なら誰でも
大好きなモチーフがいっぱい。特にライトストーンの入ったハートを組み合わせたクローバーの
アクセサリーは大人気。
ラグジュアリーでいながらキュートなデザインと、手頃な価格で若い女性に人気が高く、フォリフォリの腕時計は
ヨーロッパ、アメリカではトップモデル愛用のアイテムとしても知られています。
日本ではCanCamやJJで紹介されたり、日本ではフォリフォリの時計を矢田亜希子がドラマで
使用したり、エビちゃんこと蛯原友里が愛用していることで話題になった。派手すぎずエレガント
でいながらキュートなデザインは。手に入れたいアイテムのひとつですね。

プラダ

| | コメント(0) | トラックバック(0)
イタリアを代表するブランドのプラダの起源は1913年、マリオ・プラダがミラノに皮革製品店を
開業しました。
世界中から質の高い革や珍しい素材を集め、イタリア職人の最高の技術で豪華なアイテムを
作っていたことが評判となり、イタリア王室の御用達となりました。
マリオの孫娘のミウッチャ・プラダがオーナー兼デザイナーに就任してから、「ポコノ」という
軽くて強い工業用防水生地のナイロン素材のバッグを作り出しました。
「日常を贅沢に飾る」をコンセプトとし、プラダは誰も考えなかったナイロン地を使って、軽くて汚れ
にくいバッグを作り、あっという間に世界中にその名が広がりました。
プラダの現代的で革新的な素材使いやデザインの斬新さは男女問わず絶大な支持を得て、
伝統と歴史とのみごとなコラボレーションは世界的なブームを巻き起こしました。
プラダの定番「ポコノ」は工業用ナイロン防水生地を使ったシリーズで現在でも人気が高いです。
外見の特徴としては、メタリックカラーのシンプルな持ち手、あるいは、リングをかました持ち手
などで、派手でなく、現代的な躍動感に満ちたデザインです。
プラダは黒のポコノのイメージが強いが、ライラック、ピンク、ブルーなど、ビビッドな色のものが
登場し、堅実で知的なデザインは守り継がれています。
1991年にフランクミュラーがスイスで設立しました。
正式なブランドになる前からフランクミュラーの時計は存在し、多くの時計マニアの間では
知られていました。
フランクミュラーは10代半ばでマイクロ工学を取得したが、工学博士の道には進まず、ジュネーブの時計学校へ時計職人の道を選びました。
時計学校の3年の過程を1年で修得し、創設以来もっとも優秀な成績で卒業しました。
卒業制作では通常の3針時計に永久カレンダーを組み込み、ブレゲの再来とも呼ばれました。
天才的才能を聞きつけた時計コレクター達から、卒業と同時に注文が殺到したそうです。
フランクミュラーは、世界初の「フリー・オシレーション・トゥールビヨン・ジャンピングアワー付きの
レギュレーター・タイプ文字盤」を製作し世界を驚かせました。
「リバース・トゥールビヨン・ミニッツリピーター・パーペチュアルカレンダー」、「スプリットセコンド・
クロノグラフ・トゥールビヨン」など、次々に世界初の時計を発表し、「20世紀の天才時計師」と呼ばれています。
フランクミュラーはクオーツが主流の時代になって、アンティークウォッチの修復で世界的な名声
を得ました。高精度時計の製造にこだわるだけでなく、フランクミュラーの作り出す優雅な曲線、
繊細なイングレーヴィングなど独創的なデザインの文字盤は時計としての位置づけでなく芸術
作品として世界中から注目を集めています。
ブルガリは1884年、ソティリオ・ブルガリがローマで高級宝飾店として開業しました。
ソティリオはギリシャで代々銀細工師を務めてきた家系で、技術はブルガリ家の歴史の中で
トップクラスだったといわれています。
20世紀初頭には、過去の技法の素晴らしさを受け継ぎながらそれらをモダンなデザインにして
蘇らせることがブルガリの真骨頂です。
アール・デコ、アール・ヌーヴォー、ロココといった当時の宝飾界を支配していたフランス様式を離れ、
ブルガリはギリシャやローマの古典主義の作品を次々に発表し世界を驚かせました。
ペンダントヘッドなどのモチーフとして多用される星座のモチーフは、ギリシャ神話がルーツです。
代表作には、ギリシャやローマのアンティーク・コインをモダンジュエリーに取り入れた
コレクションがあります。
歴史的人物の肖像が描かれたコインが美しくマウントされてブルガリを象徴するものとなりました。
他には、ゴールドやシルバーの素材をコイル状に巻くという工芸技術を用いたトウボガスライン
や、蛇をモチーフにしたスネークリング、括弧をモチーフにしたパレンテシなどが挙げられます。
1970年代にはニューヨークにブルガリの海外1号店を出店。現在は世界中に150ほどの直営店
があります。
ポール・スミスは1970年イギリスで24歳の時に「ポール・スミス・ショップ」をオープンさせました。
当初はマーガレット・ハウエルやケンゾーを扱っていましたが、徐々にポール・スミス自らの
デザインしたアイテムを扱うようになりました。
現在、ポール・スミスの商品ラインナップとしてはオリジナルのメンズ&レディースウエアの他に、
アンティークのアップ&ソーサー、自転車、テーブルウエア、花瓶、本、ジュエリーや文房具、椅子
やクッションなど多岐に渡っています。
ポール・スミスのデザインはスタイリングや、素材で遊ぶことで面白さを表現しています。
また、ファッションのみにとどまらず、イギリスの自動車会社ローバー社とのコラボレーションで
ミニのデザインもしています。
ロンドンとパリで香水「ポール・スミス パルファン」を発表し話題になりました。
ポール・スミスは『サー』の称号で呼ばれるナイト爵位をエリザベス女王から授与されたことでも
知られています。
自ら「ひねりのあるクラシック」と定義するその手法は、伝統的な技術と仕立てを継承しつつも、
品質や着やすさに遊び心を加えた個性的なものとなっています。
ポール・スミスのメンズスーツは基本的には適度に遊びの入ったトラッドなデザインで人気があります。
イタリアを代表するジャンニ・ベルサーチのデザインは一言で表現すると「豪華」です。
ベルサーチのブランドとしての台頭は1978年、独自のコレクションを発表し、ミラノにショップを
オープンさせたことに始まります。
ベルサーチのファッションは個性の強い美しさを哲学にミラノの最高峰に君臨し、常にその強い
個性とカッティングの美しさでファッションを創造し続けてきました。
パリで初のオートクチュール・コレクション「アトリエ・ベルサーチ」をホテル・リッツで発表した際、
世界中で話題になりました。
1997年にジャンニ・ベルサーチはゲイのテロリストに射殺されました。ジャンニ・ベルサーチに
振り向いてもらえなかった腹いせに殺したと噂されていますが真相は定かでありません。
ベルサーチはのデザインはミラノモードの「3G(スリージー)」として、ジャンフランコ・フェレとジョルジオ・アルマーニと共に、
1990年代のミラノのけん引役でした。
ポジティブかつアグレッシブでセクシーなベルサーチの作品は挑発的でドレッシーなアイテムが
多く、個性の強いファッションです。
ベルサーチのファッションは、自信に満ちカリスマ性を持つ内面的魅力に溢れる人でないと
似合わず、着こなす人を選びます。ベルサーチに憧れるファンは世界中に多く居ます。
マウジーは、カパルア、ココルル、エゴイストなどの人気ブランドでカリスマ販売員として
活躍していた森本容子が2000年に若干23歳にして立ち上げたファッションブランドです。
マウジーのランドコンセプトは自分らしいライフスタイルとファッションを持ったパワフルな女性で、
デザインのキーワードは、BE MY SELF(自分らしく)SEXY(魅力的)COOL(クール)です。
ホワイトをメインカラーにし、やわらかさを表現できるように、どこかにボリュームを持たせ、
コンチョやデニム、綿素材を積極的に使用しています。
マウジーのデザインは、カッティングの技術が良く、シルエットが美しいのが特徴です。
カジュアルなのに迷彩柄でも大人の女性を感じさせるアイテムをプラスしたり、パンチの効いた
レザーアイテムにシフォンをあわせるなど異素材の組み合わせで遊び心を演出しています。
マウジーのファッションは値段も手ごろで、メンズっぽい感じがするけれど、それが女らしさを
引き出してくれると大人気です。
ファッション雑誌のELLE、non-no、ViViなどでも注目を集めています。
マウジーと言えばデニムが定番アイテムで、シワ、汚れのダメージが絶妙で、古着風の加工が、
クール都会的で強さのあるアイテムとヴィンテージ感溢れる。マウジーのデザインはシンプルで
ありながら、体のラインを美しく見せてくれるとファンが急増しています。
マークジェイコブスは、ニューヨークの生まれの最高にヒップなデザイナーです。
『ルイ・ヴィトン』初のプレタポルテを手がけたことでも知られています。
マークジェイコブスは15歳の時に才能を見出され、デザインの勉強を本格的に始めました。
卒業後には、「ペリー・エリス」でレディース部門の責任者となり、マークジェイコブスの発表した
格子縞のシャツにフローラル・ドレス、アーミー・ブーツのグランジ・コレクションは、一大旋風を
巻き起こし、「グランジの教祖」と呼ばれました。ショーではパールジャムやニルヴァーナといった
音楽の衝撃とノイズを、パターンとカラーで視覚的に表現しました。
コレクションは最高の出来でしたが、「ペリー・エリス」にとっては過激過ぎたようで不評でした。
1994年、31歳の誕生日に『マークジェイコブス』のブランドを立ち上げました。
ナオミ・キャンベルやリンダ・エヴァンジェリスタなどのスーパーモデルがノーギャラで出演し、
大変な騒ぎとなりました。
マークジェイコブスのデザインした網タイツとミニスカートに、サテンのジャケットやアシッド・
グリーンのラバーコートを合わせた、ヨーロッパ的なカラーとシルエットはポスト・グランジ・グラマーと呼ばれました。
マークジェイコブスの扱う商品には香水やサングラス、アクセサリーから靴など幅広く展開しています。
1990年に誕生して以来、渋谷のファッションビル109がギャル服のメッカになるにあたって
大きな役割を果たしたブランドで女の子に人気のミジェーン。
流行に敏感な10代から20代の女の子はミジェーンのアイテムをおこずかいで手に入れやすい
価格帯になっています。
ミジェーンは「エロ可愛い」をキーワードに、セクシーでグラマラスカジュアルな着心地の良い
アイテムを展開しています。
ミジェーンは昼のリゾートシーンをイメージし、映画「ターザン」のジェーンがイメージモデルです。
裕福な家庭に育ったジェーンが、ある日ジャングルへ旅をして、野性のターザンと恋に落ち、
新たな生活の中で美しさと健康、人間性と精神力を磨き上げていくというストーリーから、
旅の中で様々な異文化に触れてファッションを楽しむというミジェーンスタイルを提案しています。
ミジェーンが昼のリゾートなのに対し、同ブランドは「MARS」という夜のリゾートシーンを
イメージして姉妹ブランドを作りました。これらのブランドの誕生の基本にあったのは
「市場にばかりこだわらず、自分が本当に好きになれる服を作ろう」
「着ることでワクワクしたり、ドキドキできる楽しい服にしたい」
という気持ちだったといわれています。
マックスマーラは1951年に北イタリアのレッジオ・エミリアで、アキーレ・マラモッティが婦人服の
製造・卸・小売型企業を設立しました。
イタリア最良の技術から生み出される上品で斬新な服マックスマーラは、「最高の」という意味の
「Max」と名字の一部の「Mara」を組み合わせてブランド名とし、1着のコートと2着のジャケットで
ミラノコレクションに初参加し話題になりました。
現在、イタリア最大の婦人服メーカーであるマックスマーラは、ライフステージのすべてをカバー
する5つのブランドラインを展開する複合企業となりました。
素材やフォルム等あらゆる側面で調和とコントラストのバランスを考え、着る人の個性を表現する
提案しています。
プレタポルテブランドとして、世界のファッション界に君臨するマックスマーラは品質にこだわり、
時代と年齢を超越したエレガントでコンテンポラリーなデザインは、世界中の女性を魅了し
続けています。
マックスマーラは、仕事もプライベートも精力的に生き生きと行動し、女らしさも忘れない、クラシックなフォルムとコーディネーションを
ベースにした都会の女性イメージでです。
特にマックスマーラのコートは、質の良さと流行に左右されないベーシックで合わせやすい定番
として1着は持っていたいアイテムです。
日本のティーンエイジャーの間でラルフローレンは「ラルフ」と言われ、ポロシャツやソックスなどの
カジュアルウエアが大流行していました。
今でこそ、セーターの胸にあるマークの柄は多様化しましたが、姿形はほとんど変わらず、
「Polo」の人気はまだまだ衰えていません。
ラルフローレンは1939年、アメリカのニューヨークに生まれたデザイナーです。
ラルフローレン本人はマスコミに、たまにジーンズ姿で出てくるような、まじめで気さくそうな男性。
贅沢な素材を用いた4インチ幅のワイドタイ「POLO(ポロ)」のコレクションを発表したことが
きっかけで話題になり、メンズウェアやレディスウェアを手がけました。
また、ラルフローレンはアメリカ人デザイナーとして初めてパリに路面店をオープンさせたことでも
有名です。
映画「アニー・ホール」にてダイアン・キートンがラルフローレンを着て、「アニー・ホール・ルック」が流行りました。
アメリカン・トラッドに英国調のスタイルを取り入れた「アメリカン・ブリティッシュ・モデル」や
カントリー調を得意としています。
ラルフローレンの素材を重視したクラッシックなラインは、根強いファンが多くブランドとして定着。
ファッション以外の多岐に渡ったラインアップでライフスタイル全般を提案しています。
ルイヴィトンは、人気の高さから多くのニセモノが出回りました。
コピー商品の流出を防止するために、世界で最初にモノグラム柄を用いたことで知られています。
モノグラムであるルイヴィトンの頭文字である「L」を「V」と花と星を組み合わせた模様は、2代目の
ジョルジョ・ヴィトンが考案しました。
フランスの文化と伝統を体現していることがその大きな特徴です。
ルイヴィトンは、王侯貴族をはじめとした、ハリウッドの人々やスーパーモデル、セレブリティ達にも
人気が高いブランドです。
ルイヴィトンがパリ プレタポルテ・コレクションに参加した際に、それまでコレクション用の服を
運ぶ入れ物を作っていたブランドが、服作りを始めたということで、当時は非常に話題になり、
初コレクションから大好評でした。
豪華なイメージのありながら、ルイヴィトンの服作りのコンセプトは、「機能的」あるいは「実用的」。
近年発表された「エピ(麦の穂)」シリーズのコレクションは特に人気があります。
また、「ルイヴィトン・カップ」アメリカンズ・カップ・ヨット・レースのスポンサーになったのを記念した
「チャレンジ」シリーズのスーツケースは最新の素材で作られていることで話題になりました。
1987年にはルイヴィトン社とモエ・ヘネシー社の合併により「LV モエヘネシーグループ」が
成立し、世界でも指折りのファッション帝国を築き上げたことでも知られています。


このアーカイブについて

このページには、 itosui2007年12月に書いたブログ記事が含まれています。

次のアーカイブはitosui: 2008年1月です。

最近のコンテンツはインデックスページ で見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページ で見られます。